優秀論文賞(動作記述分析賞)

青木 洋子

1~2歳児のごはんをすくう行為の分析——食べ物の変形と食事道具の利用の観点から23号(2024) p.59-77.

一歳から二歳の幼児がスプーンを持って食器に向かう。主食のごはんがすくいとられ、ごはんを載せたスプーンが口に入りそれを抜き去る。この論文は、その一口の間に起こるできごとを緻密に記述することで、生態心理学的な知見を引き出すという、ユニークな試みを達成している。
 スプーンを使うのは意外に難しい。あらかじめスプーンにごはんが載っているわけではない。幼児は、スプーンで適切な量のごはんをとろうとする。まとまらなかったり多すぎたりすると、ごはんは端から落ちてしまう。こぼれたごはんをうまくすくい直せるだろうか。逆に、少ししかすくえなかったとき、もう少しすくいとることができるだろうか。ごはんにはばらばらなところもあれば、くっついて塊になっているところもある。幼児は塊になっているごはんを、スプーンを突き刺して分割しようとすることもある。しかし、ごはんは期待した大きさに分かれてくれるだろうか。このように、いっけん平穏に見えるスプーンによる食事には、じつはさまざまな問題が隠れている。
 特におもしろいのが、スプーンに載せられる食べ物の状態が食器の中でどのように加工されるかという問題だ。 幼児はスプーンのボール部の丸みを食器の垂直面と底面の境界にある丸みに曲線状に沿わせるように動かす。スプーンを曲線状に接触させることで、食べ物を点ではなく複数の方向から食器の面に押し付ける。その結果、ごはんの表面が押し固められ、スプーンに載る確率が上がるとともに、口に運ぶ際に崩れるのが防がれる。この繊細な動作には、手首の回転が必要となるが、幼児は次第に回転しやすい食器と自分の位置どりを発見していく。
 幼児は、一口を口に運ぶにあたって、食器、スプーン、身体の適切な組み合わせを次第に調節できるようになっていくのだが、一方で、最後にきれいに食べるために、あらかじめ食べ物を一箇所に集めておくといった、食事全体を見越した高度な調整はできない。あくまで調整は、次の一口を見越したものなのだ。
 読者は、幼児がスプーンを口に運ぶその一口の作られる過程を微細にたどるうちに、普段当たり前のように使っている食器の形に、じつはわたしたちの微細な手の調節を可能にするアフォーダンスが埋め込まれていることを知る。一方で、わたしたちのそうした当たり前さは、幼児期の幾度とない食器と自身との格闘の果てに獲得されたものらしいことに気づかされて愕然とする。質的研究とは、読者の日常知の質をも変化させうるものだということを実感させる、優れた論考である。


優秀論文賞(継承と生成の力賞)

中島 由宇・改田 明子

知的障碍のある人への心理療法の実践知——暗黙知のジェネラティビティへ向かって24号(2025) p.25-44.

本論文は、知的障碍のある人への心理療法における実践知について、長年この領域で実践を重ねてきた心理臨床家Tと、その実践知を切実に問う後続世代の心理臨床家Nとの「深い掛かり合い」による対話を通して明らかにしたものである。
本研究の特徴は、暗黙知をあらかじめ個人の内側に蓄積された知として捉え、それを外側から対象化して記述するのではなく、研究者と研究協力者が全人格的に関わり、問い、応答し合う過程そのものを、実践知を明らかにする方法として位置づけた点にある。ここでいう「掛かり合い」は、単なる親密な関係を意味するものではなく、個人性と実践性、対象に食い入る執拗さ、失敗を孕んだ危うさを含むcommitとしての「掛かり合い」である。Nの切実な問いは、Tの生き方や人間観に下支えされた実践の全体性へと分け入り、それを「ことば」として立ち上げていく原動力となっている。
本論文を貫いているのは、「わからなさ」とどう向き合うかという問いである。一連の対話を通して、Nは、知的障碍のある人への心理療法において、「わからなさ」とは、克服すべき欠如ではなく、他者とともに「わかる・わかちあう」ために抱え続けるべき主題であると捉え直すに至る。そして、知的障碍のある人に貼り付けられた「わからなさ」をクライエント個人の属性として固定するのではなく、セラピストとクライエントとのあいだに置き直し、その「わからなさ」にとどまりながら、相手の独自の心的世界を探究するという実践知こそが、Tの専門性の中核にあることを見出している。また、本論文では、そのような「わからなさ」の捉え直しとともに、NがTの実践知を自らの「ことば」としていく手応えを掴み、自分なりの実践を再び生きようとする力を見出していくプロセスが描かれている。この点は本論文が持つ傑出した魅力の一つであり、本研究が示す暗黙知のジェネラティビティの核心がここにあるように思われる。
そして、本論文のさらなる卓越性は、このジェネラティビティの構造が、研究の「結果」だけに見出されるものではない点にある。著者自身が指摘するように、研究対象となった心理療法、研究協力者と研究者との対話、そして実践知を析出する方法論のそれぞれに、自他の混じり合いやズレ、違和感のなかから「ことば」が生成され、「わかちあい」へと向かう同型の動きが通底している。そして、そこで生み出された回路を動かす力そのものが、身体に響き、賦活されることで、知は新たな広がりのなかで、伝達・継承されていく。この構造は、本論文とその読み手の関係にも開かれている。本論文を読む私たちもまた、その「わからなさ」の場に招き入れられ、TとNの内的世界に分け入りながら、自らのうちに生じることばにならない感覚をことばにしようとする動きへと促される。このように、本論文は、知の生成と継承のプロセスそのもののダイナミクスを、研究の方法、そこで生み出された知、そして、論文という形式のなかに体現している。
「わからなさ」にとどまりながら他者をわかろうとすること。その困難を抱えながら、それでも人と人とのあいだに「ことば」を生み出していくこと。本論文は、その実践知を明らかにすると同時に、その知が人から人へと伝わり、生きて動いていくことの可能性と希望を示している。本論文は、読み進めるなかで体温が上がるような感覚を呼び起こす、熱量の高い論文である。読み手の体感に働きかける、熱量の高い論文である。質的心理学研究として高く評価したい。