締切:2009年10月末日(受付終了)
特集趣旨:心理学、医学、看護学をはじめ、人間を対象とする科学は、ともすると人間側にばかり目を向け、その人が置かれている具体的な環境の存在・あり様に無関心のままであったように思われる。生体としてのヒトの身体とその機能を研究するとき、刺激とそれへの反応を調べるという方法が用いられ、その際にヒトが生きている環境は捨象されてきた。クライエントの生きてきた現実に寄り添う臨床心理学においても、例えば「対象喪失」という概念が表すように、実際に失われた「もの」が具体的に何であるか、それは深く問われないまま対象への心的な構造の探求に関心が向けられる。ここでも環境は、当然の前提として研究の背景に退いている。現実に生きている人間が、震災という経験をするときには、心的な喪失感と共に、それまでに在った具体的な「身のまわり」のもの全てやそれらとの関係が問題となる。
環境の実在を質的心理学はどのように捉えるのか?
身のまわりの環境をあらためて質的に―すなわち「それは何であるか」「どのようであるか」という点から―問い直してみる事が、学のラディカリズムとして今求められているように思われる。ギブソンのアフォーダンス論が提議する方向もその一つである。例えば次のような問い。
「地面とかそこの肌理とか、地面の上に散らばっている物とか、水とか、空気の流れとか・・・これまでの心理学が思考の対象として扱わなかった〈環境〉にも注意をする。そのときそれらに包まれているヒトが、ヒトを含む動物の行為の姿が少しちがって見えるということがあるようだ。だとしたらそのことを表に出して、話題にして、ヒトを語ることが環境を同時に語ることであるようなジャンルをはじめられないか。
建築家や土木の専門家やプロダクト・デザイナーが考えているはずのヒトのことも心理学にできないか・・・。」
環境とはどのようなものか。環境が「こころ」の主題となるのはどのような形においてか、そしてどのような原理によってか。生が営まれる「場」であり、人間を含む生きものを取り囲む「環境」がどのようなものであるか、今一度リアルに問い直す論文、質的研究でしかできない「モノ―ヒト」に迫る論文、「環境の心理学」を根本的に捉え直す斬新なアイデアを求む。
- 書籍
- 質的心理学研究:特集
- 【第10号】環境の実在を質的心理学はどうあつかうのか(南博文・佐々木正人 責任編集)