特集趣旨

2024年の日本質的心理学会第21回大会における招待講演は,ABR(Art-Based Research)の第一人者パトリシア・レヴィー博士による「アートベース・リサーチとソーシャルフィクションのパワーと可能性」であった。レヴィー氏は,従来の質的研究の手法では十分捉えきれなかった側面を,フィクションなどのアート表現を通じて描写することで「新しいフィールド」の可能性を提示している。ABRとは,創造的なアートの考え方を用いる「知識構築のための領域横断的アプローチ」であり,どの領域の研究者であっても,研究のどの段階(研究プログラム生成段階,データおよび内容の生成段階,分析段階,解釈段階,発表段階)でも利用可能な方法論的ツールとして紹介している。また,ABRは,アートとサイエンスの交差するところに存在し,アート実践とサイエンス実践の間の創造的な衝動と意図を結び,組み合わせるものでもある(Leavy, 2024/2018)。また,小松(2023)は,アート実践の研究とは,「アートのただ中で研究しようとしている」ものであり,「事後的に対照化して言語化するだけでなく,それでも,事後的に対照化して言語化するだけでなく,実践を生きている時の,実際の感覚や思考,いわば実践の手触りのようなものをなんとか捉えようとする研究」だと述べている。
アートに基づく実践とは,文学形式(エッセイ,短編小説,ノベラス〔中編小説〕,小説,実験文学,台本,映画脚本,詩,寓話)だけでなく,ビジュアルアート(写真,素描,絵画,コラージュ,インスタレーション,三次元アート,彫刻,漫画,キルト,刺繍),パフォーマンス式のアート(音楽,歌,ダンス,クリエイティブ・ムーブメント,演劇),視覚的なアート(映画やビデオ),マルチメディア形式のアート(グラフィックノベル),マルチメソッド形式のアート(複数のアート形式を組み合わせたもの),を含んでいる(Leavy, 2024/2018)。
本特集の企画者は,2022年日本グループ・ダイナミックス学会第68回大会にて,パトリシア・レヴィー氏の特別講演「物語の創作力と研究法の刷新 ソーシャルフィクションの方法」の企画(山口,2022a)を青写真として,「実験・実践のリアリティと社会のアクチュアリティ」と題したシンポジウムを実施した(山口,2022b)。そして,特別講演・シンポジウムを通じて,1)研究において様々な方法を実験的に使用することで,様々な異なる観点から物事を見られるようになる,2)研究するものを対象化するのではなく,同じ時代を生きる者として,新しいストーリフォマットで現場の人に語ってもらうことで,過去や未来をつなぐストーリテリングの力強さを再認識する,という共通理解が得られた。その上で,リアルとフィクション,実験とフィールドというように対立的に考えるのではなく,また,個別的な体験を超えて,社会的な日常生活をえがき出し,より良い世界を醸成していくために,研究者はもっと誠実に,かつ大胆に,そして丁寧に研究に取り組んでいく必要があるのではないか,という気づきが与えられた(鮫島,2023)。
今回の特集では,アート/ネイチャー,アート/サイエンスといった二分法をも超え,アートに基づく実践と質的研究が対話することによって,従来の質的研究が捉えられなかった側面に迫ることになる。それにより,今までとは異なるやり方とは何か,という可能性を検討するとともに,「質的研究」という地平における限界や課題について検討する機会となることを期待している。
ABRにはさまざまな成果の表現方法があるが,本特集については論文として誌面上で完結するものとする。そのため,投稿に際しては論文の形態としては言語的に写し取られ、かつ、執筆要領に沿って記されたものに限られる。ただし,論文に関連したその他の成果について,どのように論文と関連づけて公刊される必要があるかについて,すなわち研究成果の取り扱いについては,投稿者らによる意欲的な提案も含め,創意工夫を歓迎したい。例えば,論文の本文に付随して取り扱う必要があるメディアがある場合は,動画は参照リンク,写真・静止画は著作権処理が求められるだけでなく,論文と共にオープンアクセスな状態が保たれる必要がある点に留意されたい。なお,ABRの特集にかかり,これら論文に付随する研究成果の有無はもとより,動画・写真・静止画などメディアの種類が論文採録の可否には関係しない。その他に不明な点がある場合は,編集委員会まで問い合わせいただきたい。

引用文献
小松佳代子(2023)はしがき.小松佳代子(編),アートベース・リサーチの可能性――制作・研究・教育をつなぐ(pp.ⅰ-ⅵ).勁草書房.
リーヴィー,P.(2024)アートベース・リサーチへの招待(荒川歩,訳).P. リーヴィー(編著),アートベース・リサーチ・ハンドブック(岸磨貴子他,監訳)(pp.14-36).福村出版.(Leavy, P. (2018) Introduction to arts-based research. In P. Leavy (Ed.), Handbook of arts-based research (pp.3-21). Guilford Press.)
鮫島輝美(2023)大会準備委員会企画シンポジウム「実験・実践のリアリティと社会のアクチュアリティ――再現可能な一般性の発見と個別性からの普遍性の追求のあいだで」.ぐるだいニュース第62号,5-6.
https://www.groupdynamics.gr.jp/documents/bulletin/backnumber/news62.pdf(情報取得2024/10/10)
山口洋典(2022a)大会準備委員会企画特別講演 物語の創作力と研究法の刷新――ソーシャル・フィクションの方法」,日本グループ・ダイナミックス学会第68回大会発表論文集,1.
山口洋典(2022b).大会準備委員会企画シンポジウム「実験・実践のリアリティと社会のアクチュアリティ――再現可能な一般性の発見と個別性からの普遍性の追求のあいだで」,日本グループ・ダイナミックス学会第68回大会発表論文集,2.

  • 書籍
  • 質的心理学研究:特集
  • 【募集中:第27号】特集:「アート」を活用した質的研究(鮫島輝美・山口洋典 責任編集)(2026年 10月末日〆切)